これからの教育について


(1)学校では教えてくれない、大事なこと

私が中学校の校長になった時に、ひとつの確かな思いがありました。それは、「学校では教えてくれないこと、でも、社会では知っておかなければならないことを、伝えたい」という思いでした。

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子ども達が出ていくこれからの社会は、絶望的ではありませんが、ユートピアでもありません。こうした社会の現実や10年先の未来予想図を、学校では教えてきませんでした。これからは、将来を見据えた教育をする必要があります。

こう言うと、「中学生から将来のことを考えるなんてまだ早い」と言う教育関係者や保護者もいるかもしれません。もちろん、中学の時に将来の仕事を決める必要はないし、その仕事が見つからないといって焦る必要はないと思います。

しかし、子ども達が社会に出るまでのおよそ10年間の歳月を、自分の将来をイメージして努力をするのか、あるいは、社会への興味も関心もなく、学校さえ出ればいいと、ぼんやりと過ごしていくのとでは、学問への取り組み方、そして、仕事の選択肢も、随分と違ってくるはずです。
社会に出るまでに十分な時間があり、大人になるための原型がつくられるときだからこそ、考え始めることが大切なのです。

(2)「自立」するということ。

私は、そんな思いもあって、和田中学校では、卒業式をゴールにするのではなく、子どもたちが社会に出るところまでを見据えて、教育をしたいと考えていました。
そこで、

「自立貢献」~夢を持って最善を尽くし、社会に貢献できる自立した人間であれ~

という、学校経営目標を掲げました。

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「自立貢献」。
私は、「自立」には、二つの意味が含まれていると思っています。
まずは、経済的な自立をすること。つまり、仕事を通じて自分でお金を稼ぐことができること。そして、もう一つは、精神的な自立をすること。他人に依存せずに行動できる強さを持つことです。
この「自立」することを目標にすれば、学校での教育のあり方は、少し視点が変わってくるのではないでしょうか?

「空腹の人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、魚の釣り方を教えれば一生食べていける」。
確かになるほどと思わされる、おなじみの説話です。しかし、今の時代にあっては、「魚の釣り方を教える」ことさえも、ちょっと違うのではないでしょうか。つまり、「魚の釣り方」を教えたところで、時代の進歩のなかで、そのやり方自体が古くなり、すぐに魚が釣れなってしまいます。もっとも必要なのは、「自分で魚を獲ろう」という意欲、そして、「自分で魚を獲る方法を学ぼう」という意欲を育むことだと思います。

つまり、これからの時代に求められるのは、誰かに強制されてやるのではなく、自発的に行う、主体的な意欲なのです。

(3)「貢献」するということ。

「自立貢献」。
私は、自立するためにこそ、「貢献する」力が必要だと思っています。

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ここ20年、仕事につかず自分で稼げない若者と、自分のことしか考えられない自己中心的な若者を、社会は大量に生み出してきてしまいました。
この、自分で稼ぐことができないことと、自己中心的なことは、実は、コインの裏と表の関係にあります。すなわち、自立できない理由は、他者や社会に対して貢献する力がないからなのです。

「マネジメントの父」とも呼ばれ、20世紀を代表する社会思想家である、ピーター・ドラッカーは、「企業の目的は一つしかない。それは顧客を創造すること“create a customer”だ」と言いました。つまり、企業が幸福になるためには、自分の利益を追求することではなく、社会的存在として、他者と信頼の絆を結んでいくことが大切になる、と説いたのです。

これを個人に置き換えれば、自分の人生を豊かに生きるためには、身近な人から信頼され、他の誰かの役に立つこと、好きな人を幸せにできることです。そのためにも、ルールを守ること、挨拶をすること、身だしなみを整えること、こうした本当に小さなことから始まる、他人と共存して生きていくための社会性や他者性を身に着けることが大前提です。

(4)働くということ。

私がビジネスの世界に身を置いていた時、そのままでは社会で通用しない多くの学生を目の当たりにしてきました。
そういった大学生に共通するのは、就職試験を、あたかも高校や大学の入学試験の延長線上のように捉えていることです。彼らは、会社に入るためにはどんな問題をクリアすればいいか、どんな正解が求められているのか、そんなことで頭を悩ませています。そこには、社会でどのように貢献できるのか、「公(おおやけ)」という視点が全くありません。

社会に出て働くこととは、親の保護を受けていた社会の「消費者」から、社会で価値を生み出す「生産者」になることです。社会的な立場は反転し、今までの甘えを絶つ大きな決意が必要です。就職試験で問われているのは、その覚悟と、自分が身に着けてきた能力で、社会や会社にどう貢献できるのか、ということなのです。

この「公」と「貢献」という概念がない学生は、いくら就職試験を受け続けても、合格にはたどり着けません。

(4)これからの社会で求められる人材とは。

経済が成長している20世紀の間は、お金が善悪のひとつの判断基準でした。ところが、21世紀に入り、経済の合理性だけでは上手くいかないことや、個人主義化した社会のマイナスの部分も露呈してきました。そして、国際社会に目を向ければ、対立や紛争、資源の搾取が巻き起り、また環境破壊に歯止めもかかりません。

このような社会になっていくと、自分の意見を一方的に主張しているだけでは、対立を深めるだけです。対話を通じて意見の違う相手とも合意形成をはかり、対立を解決できるような人が必要です。
これからの時代には、「和」の精神を尊び、主体性と社会性をもって、協働的に問題を解決できる力が、必要です。

(5)教育現場に求められるもの。

「この国には、何でもある。本当にいろいろなものがある。だが、希望だけがない。」と言ったのは、作家村上龍氏の小説『希望の国のエクソダス』に登場する中学生です。
私は、5年間中学校の校長を務めてみて、今の子ども達には、希望がないとは思いませんでした。昔も今も、多くの子どもたちは、様々な悩みを抱えながらも、夢や希望を持って生きていると思います。

しかし、昔と違うのは、今の時代は、今日よりも明日、明日よりも明後日のほうがよくなることの前提がくずれていることです。富の分配を考えてきた20世紀から、負担の按分を考えなければならない21世紀へと突入しています。幸せな人生を送るための道筋は、なかなか見えません。

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そのためにも、これからの公教育は、「希望」を育くむ場所へと進化していく必要があると思っています。

「希望」を育むとは、「これから、こんなふうに生きてみたい」という志(こころざし)を、子ども達に持たせること。そして、「様々な困難が訪れようと、それらを自分で解決できる」という自信とたくましさを身に着けさせることです。

私は、こうしたことができる場所は、地域の多くの人たちに支えられ、多様な子ども達が集う「学校」でしかないと思っています。教員、保護者、地域、民間企業が、社会的に結合して、一つの共同体になれば、学校は、家庭や塾にはできない、「希望」を育くむ場所になっていくことができるのです。

これからも、未来を担う子ども達の「希望」を育んでいきたいと思います。